飛騨・高山にて

飛騨 地酒

 時期が時期だけにホテル探しは難航しましたが何とか見つかったのがなんと駅のまん前、ワシントンでした。予算はオーバーしたものの、安いところから予約が埋まってしまっているので仕方ありません。とりあえず荷物を置いてシャワーを浴び、とここら辺の記述はいつも通りなので割愛。
 飛騨高山には何度か来ているものの、いつも昼間で夜は初めて。軽く流して、良さそうな店を探します。ワタクシはやはり日本酒が好きなのでこういうお店をついつい選んでしまいますね。地酒屋『長助』さんです。飛騨の地酒が8〜10の酒蔵、それぞれ2・3種類グレード違いで置いてありますからこれはなかなかのものです。適当にバイクで走りながら目にしていた看板のお酒を注文、冷奴(高山産の美味しい豆腐)、お新香をつまみに一杯グいっとやると旅情が漂います。飛騨というと漬物のステーキも有名ですが、これは白菜の漬物をステーキ用の鉄板で焼いて玉子でとじたものらしいのですが、豆腐とお新香でそこそこお腹が満たされてしまったので次回にすることにしました。それにしても全般的にリーズナブルなこのお店は居心地も良くおススメです。カウンターとお座敷の間の通路が妙に広くホールの店員さんが動き回っても全く身体に触らず落ち着いて飲めるのです。
 そうは言っても、次に行きたくなるのがワタクシの性格。続いて訪れたのは名前は失念しましたが焼き鳥屋さん。店内は若いお客さんで盛り上がっております。まずは酎ハイ(これはぽぱいさんのご指摘の樽ハイドライではなくやはり甘いものでした)を頂き、名物の『けいちゃん焼き』というものを注文。これは飛騨地方の名物らしくクッキングシートをジンギスカン用の鋳物の鍋に敷き、味付けをした鶏肉、キャベツなどの野菜を焼くというもの。
果たしてこの紙が焼けないものかと思っていたらやはり具材の乗っていなかったところは所々焼け焦げていましたが、焼け始めたら箸で焦げないように良く混ぜてくださいというものでした。焼けてみると紙自体は少しボロボロでしたが上手くいって汁が大幅にこぼれたりという事はなかったです。一人で食べるとちょっと多いですが二人でつつけばちょうど良さそうな量。
 この時、実はにこT(にこけんのTシャツ)を着ていったのですが、煮込みのメニューが見当たりません。店員さんにこういったものはありませんか?と振り返りながら見せたのですけれども、煮込みはメニューに無いそうで残念。近くでどこか出していそうな所は?との問いに暫らく考えてくれましたがやはり思いつかないようで、高山では煮込みは食べないのではなく、お店ではあまり出すようなメニューではないという結論に至りました。これで結局今回金沢・福井・高山と三都市回りましたが、なんと煮込みをゲットすることが叶わなかったのです。ガクッ。にこけん(日本煮こみ研究会)の一員としてはなんとも残念ですが、煮込みが余りポピュラーではない地域であるということが判っただけでも、またモツ煮込みそのものが全国的な食べ物ではないということが判っただけでも、有意義だったのではなのでしょうか?(単なる負け惜しみか・・・)。これこそが飲み歩きフィールドワークの成果というものです。
 外に出てみるとポツポツ落ちて来て次第に強まり、ちょっと小洒落たお店に迷い込みTシャツを見せながら聞くと、やはり家では食べるけど、という返答。裏付けが取れました。
 明けて8月15日。曇り空と晴れ間の間くらいの天気でこれなら良さそうです。飛騨というと名物の朝市です。これで日本三大朝市(千葉・勝浦、能登・輪島、飛騨・高山)を全て制覇したことになります(^^)v。
 朝市が行われている宮川という市内中心を流れる川は、とても澄んでいて鯉が泳いでいるのが遠くからでも見えます。
 他の朝市と大きく違うのは、比較的海外からのお客さんが多く居るようで、旧市街と共に日本のエキゾチズムを楽しまれているようでした。民芸品もそうですが、ここでは農家直送の野菜が豊富に売られています。
 ワタクシのお目当ては何と言っても赤カブ。元が赤い色のカブを塩で漬けたり、甘酢で漬けたりしたものですが、今回色々なお店で試食したり、裏側の内容物・原材料を見比べても全く違うものなのです。甘かったり酸っぱ過ぎたり、妙な味が残ったり。いろいろ食べ較べてみてもやはり塩で漬けただけの物が美味しくそこのお店のものを買い求めました。やはり色々混ぜ物がないほうが安心です。

 買い物に満足し、平湯・上高地越え。松本ICには11:00頃に到着し、高速で移動。一旦小淵沢ICで降りて下で帰りがてらどこかで蕎麦を探そうと思ったら、タンクバッグに入れてあった高速の券をどこかで吹き飛ばしてしまったらしく料金所の事務所でスッタモンダした挙句、書類を作成してカードで清算というおちが付いてやや気落ちしながら、つまらないラーメンを食べて勝沼ICから再び高速で帰って来たのでした。帰りは殆んど渋滞がなかったのはせめてもの救いでした、ニャハ。