ヤマサとヒゲタ

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 引き続き醤油の話であります。個人的に非常に興味深いのでしばらく続くかもしれません。
 本日のタイトルに掲げたとおり、ヤマサとヒゲタという二つのブランド(メーカー)の話です。前回の話の中心であった、キッコーマン正田醤油の繋がりがあったように、今回のヤマサとヒゲタも関連性があるというのは今回歴史を紐解くまで知りませんでした(恥)。
 前回も揚げた表ですが再掲。

 が五大メジャー醤油メーカーですが、キッコーマンが千葉県の野田市にあるのに対し、ヤマサとヒゲタは同じ銚子市にあります。もっとも銚子駅を挟んで東西にあるようですけれども。
ヤマサ 醤油 濃口しょうゆ 1L さて両社のそれぞれの歴史ですが、まずはヤマサ。
1645年 - 廣屋儀兵衛商店として創業だそうです。創業者の名前は初代・濱口儀兵衛氏で、この方が、自分の名前の「儀」を取って∧の下にキを入れたマーク(「山笠にキ」)を商標としたいと考えるが、紀州徳川家の船印と同じだったため、キを横向きにした所、サと読めることからヤマサとした、ということです。この初代・濱口儀兵衛氏は『すきっちょ くるっちょ』という銚子のポータルサイトによると紀州広村(和歌山県有田郡広川町)の出身です。彼が紀州から銚子に渡り、創業したのは1645年(正保2)とされているそうで、紀州:和歌山と房総:千葉は黒潮に乗ってかなりの交流があったという記事を読んだことがあります。
ヒゲタ 徳用醤油 ペット  1.8L 1本 一方、ヒゲタですが、
1616(元和2)年 3代目田中玄蕃(げんば)が溜り醤油の製造販売を始める(ヒゲタ醤油の創業)とあり、摂津国西宮(兵庫県西宮市)の酒造家で海産物問屋を営んでいた真宜<さなぎ>九郎右衛門が、3代目田中玄蕃に製造法を伝授したということで、創業者はこの方になるようです。
1697(元禄10)年 5代目田中玄蕃はそれまでの醤油の醸造法を改めて、現在の醤油のようにするということで、以前述べた『その後関東において濃口醤油が考案され製造(醸造)にも一年と短期間で仕上がり、かつ関東の人々に好まれる辛めの醤油になった』というのはこのことを指すようです。

 そして両者の関係とは、『初代の濱口吉右衛門はヤマサの初代の濱口儀兵衛の兄である』ということ。ヒゲタのHPを見ても歴史はかなりザックリにしか語られていない部分なので、濃口醤油の開発から100年ぐらい一っ飛びなので田中玄蕃氏から、濱口吉右衛門への流れが全く判らないので、ここら辺は今後研究して行こうと思います。現在の社長は共に濱口氏であります。
 さて、ヒゲタのマークは『創業当時、田中家の屋号である「入山田」(∧の下に田)がマークでした。その「田」の部分に現在のように四隅にヒゲが付いたのは、田中玄蕃の夢枕に現れ、醤油造りに適した水源を教えてくれたヒゲの仙人に感謝の意を表す為という説と、元禄時代のある時、「入山田」のマークを書いていた時、墨汁が「田」の上端からヒゲのように流れ出してしまい、他の端も同じ様にヒゲを入れて見た所、面白いデザインになったので採用したという説の二つがあります。』とこれは丸っきりの受け売りです。へぇ〜そうなんですか。
 ここで改めてヤマサとヒゲタの商標を見てみましょう。何故本日この二社を取り上げたかというと、このマーク(商標)には『上』の文字が入っているという共通点。これは何の意味があるかというと、お上(幕府)が認めた最上醤油の証ということなんだとか。なんでも、『1864年(元治元:江戸末期)、幕府がインフレ対策として、市場に物価引き下げを命令しました。これに対して、醤油醸造所が異議申し立てをしたところ、ヒゲタ醤油ヤマサ醤油を含む7醸造所(他に銚子のヤマジュウ・ヂガミサ、野田のキッコーマン・キハク・ジョウジュウ)が、価格の据え置きを許可された上、品質において優れているとして「最上醤油」に格付けされました。以後、マークに「上」の文字が入るようになりました。』ということで、要するにお上のお墨付きをもらったということですね。
 そういわれると、商標というのはヤマであるとかカギを使った幾何学的な図形と文字で表されることが多いのに、何故かこの二大ブランドに関しては変な(失礼)『上』の文字が混ざっているのは何でかなという疑問を持っていましたけれども、誇らしげに取り入れていたのですね。
 7醸造所の中で、ヤマジュウはヤマサに吸収・合併、ヂガミサは現在の香取市佐原に現存、キハク・ジョウジュウは後に1940年、キッコーマン・ブランドに一本化されました。ということですけれど、ここで素朴な疑問。何故キッコーマンには『上』の文字がデザインに取り入れられていないのでしょうか?
 他の醤油の醸造元ですが、やはり『上』の文字がデザインに取り入れられているメーカーをネットで見かけた記憶があります。同じ千葉ですが現在の富津のタマサ宮醤油さんです。これはまた一体どういうことなのでしょうかね。同じ『サ』を使うぐらいですから何かの関連でもあるかもしれませんが、確認は取れていません。あしからず。
 それと、もう一つ。これを言い始めるとややこしくなるのですが、ヒゲタの社歴から。
1918(大正7年) 銚子醤油株式会社創立 (ヒゲタ醤油の設立)
1937(昭和12年) 野田醤油株式会社
(後のキッコーマン)と当社(ヒゲタ)間の資本提携成立
1947(昭和22年) 野田醤油株式会社(後のキッコーマン)と経営分離
1966(昭和41年) キッコーマン株式会社に販売を委託
2004(平成16年) キッコーマン株式会社と資本提携

 関係のあるところだけの抜粋ですが、キッコーマンとヒゲタの経営上の関係の変遷が見て取れます。Wikipediaキッコーマンの項では、
ヒゲタ醤油の商品に関して、『ヒゲタ醤油が製造し、キッコーマンで受託販売するブランド』として、本膳などが揚げられております。いやぁ醤油の近代史というのは経営統合による九州・合併、ブランドの統廃合による業務拡大の歴史でもあるのですね。今日最後までお付き合い下さいました方々に感謝してここまでにして、また後日。うーむ、深すぎる、醤油の世界。