吉原の『見返り柳』

見返り柳

 今回の浅草からの散策で目的としていたのは、ウェブ上で見た『見返り柳』というものを自分の目で見たいということ。昼間の吉原の大門通りを抜けて、土手通りまでやって来ました。

 右側の角にはシェル石油のガソリンスタンドがあり、吉原大門の交差点の目印にもなっています。前回屈曲した道路と申しましたが、こちらの絵を見て頂いて現在の様子と見比べてもらえばそのままの形が残っていることがお分かりだと思います。

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 その角の信号のところにポツンと立っている柳の木、これがそうでしょうか?信号が青になるのを待って近づいて見ます。あ、ここで申し上げておきますが、調子に乗って写真を大きいサイズでバシバシ掲載していたら、はてなの一ヶ月の容量(無料:30MBまで)を大分使ってしまったので、少し前からリサイズしたものの画質も若干ですが落としてあります。一応、念のため申し上げておきます。









 やはり何事か書いた看板と石碑があります。石碑には『見返りの柳』と彫られていて、俄然テンションが上がるのは何故でしょう?我ながら不思議です。学生の頃は歴史になんか興味がなく、文系ながら数学受験でかなりの不利を強いられたものですが、最近はこうした史的なものに興味が移ってきました。歳をとってきた証拠なのでしょうか。

台東区教育委員会の説明によると

旧吉原遊郭名所のひとつで、京都の島原遊郭の門口の
柳を模したという。遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、
この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名があり、
  きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな
  見返れば意見か柳顔をうち
など、多くの川柳の題材となっている。かつては山谷堀脇の土手にあったが、
道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による消失など
によって、数代にわたり植え替えられている

 となっていて、その当時のものではないもののやはりそうした歴史のロマンを感じさせるものです。
 ところで、『山谷堀脇の土手』と言われていますけれど、その山谷堀とはどこだろうと考えながら、山谷だからと少々北のほうに足を伸ばし、パーマ屋のオネエサンに尋ねてみると、そもそも地方橋の掛かっていた堀、用水路のことだそうで、説明にある通りもう少し離れたところにこの柳があったようです。このパーマ屋のオネエサン曰く、小さい頃にはまだ埋め立てられる前で、今の地方橋の少々先から山谷堀公園といわれる吉野通りに繋がる道がそのお堀の跡だそうです。