予想以上と期待ハズレ

燗酒の嬉しい季節です♪

 日頃TVのニュースや新聞等で見聞きする天気予報。朝出掛けに気になって見たりすることと思います。以前気象予報士の森田さん(森田正光氏)が言っていましたが、天気予報が当たらない、と文句を言われるけれども日本の天気予報の精度は76%程だそうです(今ウィキで調べたら80%程)。なので4分の3は当たっている計算ですね。
 ところが、天気予報が外れて文句を言う人は多くても当たって謝辞を述べる人は殆んどいないのではなのでしょうか?外れてブーブー言われるし、当たって当然という天気予報をなさる方々は報われないお仕事で同情致しますなぁ。
 学生時代マーケティングの授業で教わった理論で印象に残ったものがあります。『認知的協和・不協和理論』というものでアメリカのフェスティンガーという学者が唱えた理論です。何かこういうと難しい理論でとっつきにくいようですが実際には現実の生活に密接な理論でもあります。

 グラフを挙げておきましょう。
 例えば、知らない出先で丁度お昼時。空腹を感じたある人がふと通り掛かったラーメン屋さんに入るとします。見掛けは大したことが無さそう、いやむしろ素っ気無いぐらいなのですが、いざ入ってみて食べるとこれが、実に美味しかったりします。こういう場合グラフのピンクの矢印で示される情報量が少ないのに満足度が高いと言った状況になります(非認知的協和)。こうして建物のの汚い(古ぼけた)お店ほど美味しいという俗説が生まれるのですね。
 また、行列のできるラーメン屋さん(ラーメン屋の例ばかりで恐縮です)。ネットの情報でも良いし、ラーメン特集の雑誌でも必ずと言って良いほど取り上げられているお店。30分並んで食べましたが評判どおり美味しいのですが『なるほどネェ、評判どおりだ』で次第に興味が薄れ次のお店を探し食べ歩く、こんなパターンが緑の矢印。赤い曲線で示しましたが色々情報があり、期待通りで、そこそこ満足はしますが驚くほどではありません(認知的協和)。
 先にも述べたお店が、評判を知らないのに入って食べて、まぁそこそこの味だったりする(黄色矢印)のとあまり変わらない満足度であったりします。ですから情報量(知識、経験、体験)といった人から聞いたり、過去に食べたことがあったりすると、青い曲線に示されるように満足度の上がり方は鈍くなるようです。
(これは意外と美味しかった味噌ラーメン@亀戸)
 これが評判どおりの味ではなく、もしも美味しくなかったり、お店の対応が悪かったり(注文したラーメンが遅い、店員の態度がヨロしくない)したら大変です。グラフでは指し示していませんが矢印の向きは下に向かってしまうこともあり得ます(認知的不協和)。こうした場合、雑誌の情報もあてにならないなぁ、とかあの店員の態度が気に食わなかったとか何かしら自分以外のところに期待を裏切る要因を仕立て上げたりするのです。そうすることによって並んでまで食べた自分の行動を正当化し易くする訳です。
 もう一つ、非認知的不協和と言うのもありますが、これは知らないお店で食べたけどやはり美味しくなかった、というものです。この場合、色々と理由付けが出来ます(他のお客もいないのはやはりそういう理由だからなんだ云々)から、それほどの落胆はしないですけれども、二度とそのお店に行かなくなったり、用心深くなります。
 話は戻って冒頭の天気予報の件。天気予報を見て晴れると思っていたのに雨が降った、というのはもうお分かりの通り『認知的不協和』の状態で落胆するのです。下手するとTV局に苦情が集まったりするのです。
 逆に予報どおり晴れると、予報どおりだ、ということで当然のように受け止めてしまうのです。
 なお現在はこの理論は更に色々な学者が研究し改良を加えられたり別の理論も研究されているようです。