醤油の近代史から

ジョーキュウとニビシ、博多にて

 引き続き、醤油の話です。興味がある人はいるのかな?
 Wikiによると醤油の大手メーカーというのは

の五社で、生産量は千葉県35.11%、兵庫県15.72%、愛知県5.28%だということです。この数字はいつなのか記述されていませんので、更に調べると、しょうゆ情報センターというHPに出くわしました。その中で生産量の項目があり、先述の『千葉県35.11%、兵庫県15.72%、愛知県5.28%』という全く同じ数字が出て参ります。そのデータからすると、平成17年度のデータのようですね。引用すると、順位は続いて、4.香川県4.63%、5.群馬県4.46%となり以下、6.大分県 4.11% 7.三重県 3.43% 8.福岡県 2.59% 9.北海道 2.55% 10.青森県 2.40% だそうで、10県合計では 80.28%という数字になります。大手メーカーが3つもある千葉県はやはり圧倒的な生産量を誇りますね。そして兵庫、香川というのも順当に5位以内にランクイン。
 愛知は全国区ではこれといったメーカーの存在は知られていませんが、白醤油の産地を抱えていて、白醤油というのは大豆の割合を非常に低くし、代わりに小麦の比率を上げることによって、琥珀がかった茶色の薄口醤油よりも薄い色に仕上げるというもの。八丁味噌といい、愛知の食文化というのは一種独特の進化を遂げていますね。イチビキ、サンビシ、盛田、サンジルシあたりはヒョッとするとスーパーで見かけたことがあるかも、です。
 群馬県も5位にランクインしていますが、これはキッコーに『正』のマークの正田醤油があるお陰でしょう。こちらの正田醤油、現在の天皇の奥さんいわゆる皇后の実家の本家筋であります。
(ヒガシマルもいろいろとあります)
 さてそんなことを調べている内に、いろいろと興味深い歴史を知ることになりました。ちなみにワタクシ歴史には全く疎くて、高校2年の頃に社会科の歴史、日本史及び世界史に全く興味が持てなくて、歴史は諦めて文系の大学にも拘らず、数学で受験するという選択をせざるを得ないほどの歴史オンチです。以下斜体部分は引用した文章です。
 ではキッコーマンの歴史を紐解くと、その創業は1917年に野田醤油株式会社並びに万上味醂株式会社設立。翌年に営業を開始とあります。この野田醤油株式会社というのがキッコーマンの前身です。更に遡ると、1887年(明治20年)に「野田醤油醸造組合」が結成されたとあり、判りにくいので時系列に順を追っていくとこうなります。
1661年(寛文元年)に上花輪村名主であった高梨兵左衛門が醤油醸造を開始し、翌年(1662年) に茂木佐平治が味噌製造を開始した(茂木はその後醤油製造も手がける)。(これ以前のことは、また別の機会に述べます。)
 この『上花輪村』というのは現在の千葉県野田市のことです。
1800年代中頃には、高梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が幕府御用醤油の指定を受ける。
 いわゆる、御用達のことですね。それだけ、重用されたということなのでしょう。なにせ醤油が使われだした最初の頃は、その量が少なくて、紀州・関西方面、いわゆる上方から運ばれてきたものを「下りしょうゆ」といって珍重していたそうですが、江戸の町の人口増加により賄いきれなくなり(たまり醤油は生産に3年掛かり非常に効率が悪かった)、その後関東において濃口醤油が考案され製造(醸造)にも一年と短期間で仕上がり、かつ関東の人々に好まれる辛めの醤油になったということです。
 そこで先述の『茂木一族と郄梨一族の8家合同』による「野田醤油醸造組合」が結成され、それが後に、『野田醤油株式会社』となりこれがキッコーマンの元になったということなのです┐(´д`)┌ヤレヤレ。
 『亀甲萬』は茂木佐平治家が使っていたものだそうで、要するに創業者一族が高梨家と、茂木家でありその業者達が組合を作って纏まった時に、創業者の一つが昔から使っていた『亀甲萬』をそのまま引き継いだってことで宜しいのですかね。また亀甲には『占い師・藤田小女姫の勧めもあった』という説もあるし、『前身の1つ、茂木佐平次家の用いた商標「亀甲萬」は香取神社の亀甲と「亀は萬年」をかけたとされる。』ともいわれています(これはお客様相談室に問い合わせた方が居るそうなので、信憑性がある)。茂木佐平次と香取神社の関係は、茂木佐平次氏が香取神社の氏子だったということです。
 さて群馬は館林の正田醤油の話であります。
創業 1873年明治6年)12月25日

  米穀商が投機的であると考えていた三代正田文右衛門が、野田町の二代茂木房五郎より醤油醸造業を勧められ、醤油醸造業を創業した
 とありまして、『野田町の二代茂木房五郎』というのはもちろん、「野田醤油醸造組合」を結成することになる茂木家の房五郎さんのことですね。一見、千葉県と群馬県、地理的な乖離が見られるようですが、ここで地図を見てみましょう。っていうか最近地図の貼り方を覚えたので、貼りたくて仕方がないのですが(笑)。

大きな地図で見る
 
ちょっと地図上マーキングする方法がわからないので恐縮なのですが野田と館林を探し出して頂いていると仮定して話を進めます。館林に関してはやや離れていますが、野田とは現在の陸上交通で考えれば結構ありそうなものですが、水路、つまり舟で行けば利根川を介して、一本道なのです。それに加えて、群馬は小麦の産地。醤油作りに欠かせない要素が備わっていることになります。直系ではないもののキッコーマン正田醤油の繋がりが見えたのは、非常に興味深いものです。こうした有機的な繋がりを知る面白みを教えてくれれば歴史嫌いになんかならなくて済んだというものです。
 長くなってきたので、また後日。